Topics>仲介するということ

先週と今週、SBIホールディングスの北尾氏が出た番組(東京12チャンネルの「ビジネス維新」)を見た。その中で福島敦子さんが、「金融って、何でしょうか」という質問に「仲介業」と答えているところで、今後の10年くらいの方向が見えたような気がした。ちょっと大袈裟な言い方だが、基本に戻って考えてみたい。つまり、インターネットは、社会に大きな影響を与え、現在の社会基盤や既得権益を破壊しているわけだが、その場合でも途中経過というものが存在するということに思い当たったのである。


もしかしたらそんなこと既に常識と言われるかもしれないが、あえて書いてみたい。

インターネットが社会に与える影響は、様々な側面を持っているが、基本は仲介をなくして直接にすることではないだろうか。インターネットが商用化された1995年ころ仲介がなくなっていくことが予測されていたと思う。しかし、実際この10年が過ぎてみると、個人という側面より、仲介業者が巨大なビジネスをしているというところが前面に出ている。つまりポータルサイトであり、インターネットモールであり、広告ビジネスである。なんか私が考えていた個人ビジネスではなく、独占的な企業を生み出すインフラにしかなっていない。ある意味、個人の仲介をして大きなビジネスを産んでいるだけではないか。こんなのは、インターネットの終着点ではなく途中経過でしかない。私が考えていたゴールは、インターネットを介してつながるプロフェッショナル、そして様々なプロジェクトがダイナミックに起こり、波及していく、会社という組織のいらない新しいワークスタイルである。大量生産品は、ロボットが工場で作り、その輸送も無人で行われる。既に確立したビジネスにおいては、できるだけ省力化をはかり、思い切り知識を生み出すところにシフトする。そのとき仲介業はレベルの低い仕事になるはずなのだ。

しかし、仲介ビジネスが一気になくなるわけではなく、代替可能なところからしか変わっていかない。小売業はかなり変容していると思う。アマゾンが扱うジャンルはどんどん増えているが、ここで扱うジャンルは、インターネットによってビジネスモデルも大きく変わっているはずだ。書籍、洋書、CD、DVDなどは間違いなく店舗販売を変えている。店舗で売るものは、コンビニ化して、新発売のものだけになる。
それでは、仲介ビジネスとして最後まで残るものは何だろうか。 不動産、金融、車などの高額商品や売るための知識が複雑なものは、なかなか仲介がなくならないと思う。つまり仲介にそれなりに知識が必要で、実は商品ではなく知識を売っている場合だ。

ただし、仲介しているだけで、真に価値を生み出していないものは、最終的には消え去るべきだろう。途中経過として、あっても仕方がないし、そこで大きく儲けることは可能だろう。言い訳として誰かがそれを考えて利益を得るものが存在するのだから、自分がそこに手を出して利益を得て何が悪い、というだろう。それを社会に還元すれば、他の人が利益を得るより、社会にとって良い、という理屈を主張するかもしれない。この考え方は私は嫌いだ。本来の姿は、すべての人がプロフェッショナルとなって、自分で価値を作り出し、その価値を享受した人から直接その見返りを受けとることだ。特に金融のような利鞘を稼ぐものは、すべて法律で禁止したらどうだろう。

ベンチャーに投資して上場させ、利鞘を稼ぐようなベンチャーキャピタルは、ベンチャーを食い物にしている賭博師としか思えない。特に、生産設備をもたない企業、人的資源が資産というような会社は、資本がなくても立ち上げられるはずなのである。そこに資本を投入して、六本木ヒルズの一等地にオフィスを構えたり、TVなどに巨額の宣伝費をかけたり、プロモーションで人を借り出し営業費を使うなど、はっきりいってむだ金だ。それは不動産屋に入り、広告屋に入るだけだ。金融は、専門知識をもった巨大な仲介業だ。過渡的な状況で、このビジネスは大きくなっていくが、どこかで無駄なプロセスとして切り捨てられる時代がくるはずだ。その時が本当のインターネットによる革命が完成するときだろう。しかし、そこまでいくのにどれだけかかるだろう。このインターネットを利用した金融ビジネスが早く破綻を迎えることを望む限りである。

2005年09月19日 | Posted in Topics | | No Comments » 

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください