本>1Q84買いました

池袋の旭屋書店で棚一面に並んでいるのを見て、ここまできたかと思いながらも、手にとって目次をみると、とりあえず買うかという気持ちになってしまいます。

村上春樹
新潮社
おすすめ平均:
作為的な臭いがする
これぞ村上春樹的作品
いつもっぽい展開の行く末はどうなるか1だけでは解りませんが・・・

村上春樹
新潮社
おすすめ平均:
進歩なし
決して『救われる』物語ではない
世界標準

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発行日を見ると、5月30日です。最近小説を買うのは、1年に1回くらいだと思います。発売日に買うなどというのは、今までなかったかもしれない。

まだ記憶に残っているのは、この前の村上春樹のイスラエルでの文学賞受賞式への出席でのスピーチです。作家というのは、自分の目で確かめてきたものしか信じられない、だからこの場所にきた、ということを言っていました。当たり前のことかもしれませんが、今の世の中では、その当たり前のことがけっこう当たり前ではない状況にあります。

というのは、情報が氾濫していて、人が書いたものや人から聞いたことをあたかも自分が経験したことのように錯覚してしまうことが、多いと私は認識しています。

例えば、仕事場でよくある話が、競合会社が出した新製品の記事を持ち出して、よその会社は先を行っている、ウチは遅れている、何とかしろ、というようなことを言う人がけっこういます。でも、これは記事だけで、売れるかどうかもわからない、失敗するかもしれない商品に関して、心配しても実は意味がありません。仕様を見て、こんなもの誰も必要としないとか、どこまで本当に実用的に機能するのか、と思うものが多すぎます。実際にその製品に触れてみるまでは、慌てる必要などありません。

ブログでもそうです。自分で使ってみて良かった悪かったというレビューブロガーなどは、いいと思いますが、ニュースにコメントをつけるような書き方で、実際に自分で触れていないとか、自分独自で考えたアイディアがないものは、書く意味がわかりません。実際にそういう人のブログを見ると、一番最初にあるキーワードで記事を書くと、ページランクが上がるから、中身がなくても無理やり書いている、というような輩ばかりです。

作家でもブロガーでも、人の引用はしてもいいが、そこに自分独自の視点がないものは、駄目でしょう。

2009年05月31日 | Posted in | | No Comments » 

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